静けさは、止まることではなく戻ること

静けさは、止まることではなく戻ること

― 一般的にいう人生の折り返し地点の年齢で見えてきた、「道」と「静寂」―

最近うっすら、ようやく「止まること」の意味がわかってきた気がします。

若いころは立ち止まる事が怖くて、動き続けることが正義で、成長する唯一の方法だろと思っていました。

努力し続ければ道は開ける、満足できる、止まったら死ぬ、そんな焦燥が心のどこかにありました。すべての動悸が怖れでした。

けれども、日々人の身体に触れ、息づかいや拍動の微かな変化を観察していると、ほんとうの回復は「静かに、止まった瞬間」に起こるのだとうっすらと気づくのです。

止まるというのは、消える、何もなくなることではなく、自分の中心へ「戻る」、収斂することなのだと。

人は、現実を現実のまま捉えると、外の世界に合わせようとしすぎて、いつのまにか自分の実像と、自分の呼吸を忘れています。

仕事、家庭、情報、他者比較——すべてが自分を外へ引っ張る。

だからこそ、今は、あえて、静寂を取り戻す瞬間が必要です。

静けさとは、世界を拒むことではなく、己が世界と改めて繋がるための余白です。

朝の治療院は静かです。

ドアを開けたときの空気は少し冷たく、昨日の気配と余韻がまだ残っています。

モップを動かし窓を開け放して、その気配が今へと変わり、薄れていくのを感じると、空間が息を吹き返すように思えます。

動いているのは自分の体だけれど、動いているのは空間、空気です。

静けさの中には、見えない流れがある。老子が言う「静は動の根」という言葉の意味が、なんとなく体験としてわかってきました。

私の臨床の中で感じてきた“静けさ”は、やがて東洋の思想や量子の理にも通じていきました。

量子の世界でも、静止している粒子は存在しないそうです。どんな物質も常に微細な揺らぎの中にあります。つまり「静けさ」とは停止ではなく、目に見えないほどの小さな動きの調和なのです。

私たちの身体も同じです。治療のとき、力を抜いて手を置くと、体温とともに皮膚の下で血の流れが静かに波打ちます。その波(脈)が整うとき、痛みや緊張が整っていく。

動かすのではなく、流れをもとにもどす。

現代物理学では「観察者効果」という現象があります。観測するという行為そのものが、粒子の振る舞いを変えるという法則です。

こちらが「治そう、良くしよう」と念じれば念じるほど、思えば思うほど、対象は抵抗する。けれども観察すると、身体は自然に緩んでいく。

意識が場を変える、東洋医学でいう「意は気を導く」と同じ理です。私たちは、静けさの中で最大の治癒力、回復力を持つのかもしれません。

人の心もまた、波と粒のように変化します。怒りや悲しみを、こうでないといけないと決めつけると、心は固くなり、流れを失います。

けれども、それを一歩引いて高い所から見つめると、感情は再び波に戻り、やがて自然に還っていく。止まるというのは、この波の状態に戻ること。

固まったものを、もう一度動ける状態に戻すこと。

私は臨床を「何かを加えること」ではなく、「余分を取り除くこと」と考えています。整えるのに必要なのは、補う行為よりも、余計なものを瀉ぐこと。

減らした先に残るのは、もともとそこにあった自然の、正常な流れです。人は壊れているのではなく、ただ流れをせき止められているだけ。

だから治療とは、整える作業なのです。

量子場(フィールド)理論では、宇宙に存在するすべてのものは一つの場の中で振動していると言われます。全ての現象と物体は、その場の異なる波です。

東洋思想で言う「道(タオ)」も、まさにこの“場”のことではないでしょうか。目には見えないが、すべてを貫く流れ。そこに逆らわずに生きることが、「道に沿う」ということです。

私は治療家として仕事をするとき、人の波を整え、もう一度その人自身の道につなぎ直すお手伝いをしているのだと思っています。

静けさを保つことには勇気がいります。周囲が動いているとき、自分だけ立ち止まるのは怖さしかない。

けれども、迷わず静けさを選べる人はきっと強い人です。動かないということは、信じるということ。

水面が澄んでいなければ底は見えません。人の心も同じです、静まったときにしか、本当の自分は見えない。

水は止まって見えても、その分子は絶えず動いています。静けさとは、動きが消えた状態ではなく、最も調和した動きの姿です。

黄帝内経に「虚静為保命之本」とあります。心を静かに保つことが、自分を見つめ、命を養う根本。焦りや比較を手放して静かに在るとき、身体と心のリズムも自然に整っていきます。

止まることは終わりではなく、始まりです。戻るとは、自然に還ること。患者さんに「よくなったように感じる事は、もとの状態に戻っている事です。」と伝える言葉は、それは自分自身へ向けた言葉でもあります。

量子の世界では、真空は「何もない」のではなく、無限の可能性が満ちた場とされています。東洋で言う「空(くう)」も同じです。何もないように見える静けさの中に、すべての始まりがある。

だから静けさを恐れる必要はありません。静けさの中には、未来を生み出す力が眠っているのです。

繁栄とは、外へ広がることではなく、内側が満ちること。40歳になってから、それを、少しずつ、実感するようになりました。

弁え、足りていることを知るとき、人は安心します。静けさは、その「足りている」を思い出す時間です。

私はこれからも、この場を、あなたが自分の静けさを取り戻せる場所として育てていきたいと思います。臨床でも、言葉の中でも、空間にある空気の中でも、あなたが「戻る」きっかけを感じられるように。

静けさとは、止まることではなく戻ること。
すべての生命が、自然のリズムに還っていく動きです。
粒子が波に戻るように、人もまた自分の本来の流れへと還っていく。

その瞬間、身体も心も、そして世界も、静かにひとつになります。
この静けさの感覚を、少しでも共有できたなら、それはとても嬉しいことです。

著者プロフィール 飯島 隆行(いいじま たかゆき)

群馬県伊勢崎市『くにさだ鍼灸整骨院』院長

医師に見放され、長い後遺症の経験から、「命の尊さ」と「信じる力」を大切にする鍼灸師。
経絡治療を得意とし、東洋医学の養生法でアドバイスする。

東京自由が丘 脈診臨床研修会所属 認定治療院

飯島 隆行

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